【 概 要 】−西生寺は天平5年(733)に行基菩薩により創建された寺院です。当初は弥彦山中腹の清水平に境内を構えていましたが、その後衰退し、久安元年(1145)に寿奎上人(奈良興福寺住職)が現在地に境内を移し再興しています。貞治2年(1363)、弘智法印が高野山で修行の後、即身仏になる為に聖地を求めて西生寺の奥の院の地に辿り着き、厳しい修行の後に入定し即身仏となりました。弘智法印の即身仏は現存する最古の即身仏になった事で信仰はさらに広まり、親鸞上人や松尾芭蕉、良寛などの文人、墨客などが訪れています。江戸時代初期には松尾芭蕉は即身仏を参拝する為に、態々弥彦まで足を延ばしたとされ、境内には「芭蕉参詣の碑」として奥の細道の随行者である曽良の句といわれる「文月やからさけおがむのずみ山」の句碑が建立されています。西生寺本堂は入母屋、桟瓦葺、妻入、間口4間、正面1間向拝付、内部には本尊である大日如来像が安置されています。客殿は寄棟、瓦葺、平入、正面軒唐破風、外壁は素木板張、内部には上杉謙信(戦国時代の越後国守護、関東管領、春日山城の城主)が寄進されたという愛染明王が安置されています。弘智堂は江戸時代中期に造営されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、総欅造り、正面1間軒唐破風向拝付、向拝木鼻には象と獅子、欄間には龍、懸魚には鳳凰の精緻な彫刻が施され弘智法印の即身仏が安置されています。
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