【 概 要 】−瑞雲寺は鎌倉時代初期に源義経に縁が深い乙和御前により創建されたと伝わる古寺です。乙和御前は奥州平泉(岩手県平泉町)を開いた藤原清衡の孫娘だった人物で、悲運の英雄とも言われた源義経の乳母としても知られています、一方で源義経の家臣佐藤継信、忠信兄弟の生母だった事から、息子である2人は両方とも義経をかばい非業の死をとげ、夫である佐藤基治(福島県福島市飯坂町:大。鳥城の城主)も文治5年(1189)の奥州合戦により奥州平泉が陥落すると自刃した為、少数の家臣と共に落ち延び尼になったとも云われています。新潟県では乙和御前の伝承が残され、瑞雲寺では乙和御前の霊夢に日頃から信仰していた羽黒大権現(出羽三山の羽黒山に祀られていた神)の化身が出現し栃尾の小貫に祀るようにとの御告げにより瑞雲寺(創建当初は瑞雲庵)を開いたと伝えられています。寛永10年(1633)に当地の豪商として知られていた外山家が大檀那となり寺院として整備され瑞雲寺に寺号を改称、享保年間(1716〜1735年)に現在地に境内を移した際に、本堂に祀られていた羽黒大権現の本地仏である十一面観音像を改めて境内に社殿を設けて羽黒神社を創建しています。幕末には朝廷から御綸旨を賜ったものの、戊辰戦争の際には奥羽越列藩同盟に参画した米沢藩により宿営地として利用され本堂の板戸には藩士による遺書が残されています。
|