【 概 要 】−宇奈具志神社が何時頃に創建されたのかは判りませんが(天和元年:1681年村内の火事に類焼して社殿が焼失しその際、記録も失われたとされます)、奈良時代の養老年間には現在地よりも8町程南方に位置する宇大田に既に鎮座し当村の鎮守だったされ、現在でも旧地には祠が建立して往時を偲ぶ事が出来ます。平安時代に朝廷から認識され格式の高い神社が列記された延喜式神名帳に小丹生神社として記載され、所謂「式内社」として広く知られていました。宝治2年(1248)に現在地に遷座し、寛永7年(1630)に社領2石が附与、さらに延宝6年(1678)に3石7斗7升1合5勺が附与されています。江戸時代までは出田神社と称していましたが明治3年(1870)に現在の社号である「宇奈具志神社」に改め明治40年(1907)に周辺に鎮座していた天王社、金刀比羅社、諏訪社を合併しています(式内社には宇奈具志神社も存在しますが、由緒では当社は小丹生神社とされ、何故、社号を宇奈具志神社に改めたのかは謎とされます)。又、宇奈具志神社は越後出身の名僧として知られる良寛和尚の縁の地でもあり「みはやしは いづくはあれど越路なる 三島の里の 出田の宮」の歌碑が建立されています。
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