【 概 要 】−羽黒神社は平安時代末期から鎌倉時代初頭頃に、源義経の乳母で、義経の重臣である佐藤兄弟の生母とされる音羽御前が、子供達の菩提を弔う為に瑞雲庵を設けて、その庵内に日頃信仰していた羽黒大権現(山形県鶴岡市:出羽三山[出羽神社・月山神社・湯殿山神社]の一翼である出羽神社の祭神)を祭ったのが始まりとされます。当初から神仏習合し、本地仏として十一面観音像が信仰の対象になっていたようです。その後の詳細は不詳ですが寛永年間(1624〜1645)に瑞雲庵が正式な曹洞宗の寺院として整備され瑞雲寺となり、享保年間(1716〜1735年)に現在地に境内を移した際に瑞雲寺の守護神として改めて羽黒神社が創建され敷地の一角に社殿が造営されました。当地(長岡市小貫)の豪農、豪商と知られた外山家が大檀那として崇敬庇護し、境内の整備が行われ、明治時代の日本の経済界に大きく寄与しアサヒビールの創業者である外山脩造が外山家出身だった事から特大石碑(顕彰碑)が建立されています。その後は瑞雲寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により瑞雲寺とは分離し、仏教色が強い本地仏である十一面観音像や鰐口などは遷され羽黒神社として独立しています。現在の羽黒神社の社殿は江戸時代末期に建てられたもので、随所に施された彫刻が長岡市準指定文化財に指定されています。
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