新潟県・上越市・春日山城

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【 概 要 】−春日山城は永徳元年(1381)に時の越後守護代長尾高景が築いたのが始まりとされます。南北朝時代には越後国守護だった上杉氏の居城である府中の館の詰め城として機能していたようです。その後、永正4年(1507)に越後国の実権を握った長尾為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となりその都度増改築されました。特に謙信の代に大幅な普請が行われたとされ春日山城は難攻不落の城とうたわれました。上杉謙信は越後の虎との異名があり、関東、信州、越中、出羽に侵攻し戦国時代を代表する大大名に成長し、関東管領上杉家の名跡を継ぐとその名声は全国に広がりました。謙信が死去するとの上杉家の跡目争いである「御舘の乱」が勃発、逸早く上杉景勝(謙信の甥)が春日山城を掌握し(特に、武器や金品、判子を押えたのが大きかったとされます)、御舘に立て籠もった上杉影虎(北条家からの人質)との争乱の舞台となっています。乱を制した景勝は織田信長の越後、越中侵攻や「新発田重家の乱」などの内乱などありましたが豊臣秀吉に従った後は領地を安堵され五大老に抜擢される程になりました。慶長3年(1598)に景勝の代に配置替えとなり居城を鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移すと春日山城には堀秀治が城主として入ります。堀秀治は織田信長の側近だった堀秀政の長男で、自身は豊臣秀吉に従い越前北ノ庄城(福井県福井市)18万石を領していましたが景勝の移封に伴い春日山城30万石に抜擢されました。秀治は春日山城の矢倉・堀の普請を行ったものの、春日山城は中世の山城として戦略的には難攻不落を誇りましたが行政的に使い勝手が悪く、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後の堀忠俊の代に直江津港付近に福島城を築き春日山城は廃城となります。現在も郭や土塁、空堀などの遺構が数多く残り昭和10年(1935)に国指定史跡に指定されています。又、周囲には長尾家や歴代高田藩主の菩提寺だった林泉寺や上杉謙信が祀られている春日山神社などの史跡が点在しています。

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