【 概 要 】−徳昌寺の創建は文明11年(1479)に直江秀綱(直江兼継の義曽祖父にあたる人物)が開基となり耕陰道夫が開山したと伝えられています。その後、徳昌寺は直江家の菩提寺となった事で寺勢が興隆しますが、慶長3年(1598)に上杉家が会津若松に移封になった際、直江兼継(上杉家執政)は米沢城30万石で随行した為、徳昌寺も米沢に随行し米沢城(山形県米沢市)の城下に境内を構えました。江戸時代に入り兼継が死没すると直江家に世継ぎがいなかった事で一代で庇護者がいなくなり米沢藩内の反直江家側と林泉寺の圧力により徳昌寺は廃寺に追い込まれた為、寛永年間(1624〜1645年)頃に与板に戻り再興を果たし元禄15年(1702)に現在地に移ると歴代藩主である牧野家、井伊家の庇護となり豪商大坂屋三輪家(三輪家の祖先は武将だったとされますが、戦国時代に加賀前田家に敗れると当地に土着し、長岡の大坂屋に奉公の後に暖簾分けが許され、信濃川舟運を利用して繁栄しました)が檀家になった事で寺勢が興隆します。文政11年(1828)には有栖川宮家の祈願所にもなり広く信仰されます。現在の本堂は天保7年(1836)の火災後の嘉永6年(1853)に再建されたもので大坂屋三輪家の寄進が大きかったとされます。
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