【 概 要 】−大竹邸記念館は新発田藩(新発田城を本城、藩主溝口家)の大庄屋として代々当地の開発した大竹家の屋敷跡を整備し、遺品や資料を展示している施設です。大竹家は平清盛の異母弟で平家が壇ノ浦の戦いで敗れ没落後、源頼朝に許された平頼盛(池殿、池大納言)の家臣で正治元年(1199)に中之島に配された際に随行した3家臣(大竹、稲庭、下田)の内の一家と伝えられています。平頼盛の生母である池禅尼(平忠盛の正室。平清盛の継母)は平治元年(1159)の平治の乱後に源頼朝の助命を嘆願し絶食するなど尽力した事から早くから頼盛は頼朝に厚遇され、壇ノ浦の戦い後に平家の中で有力の一族としては唯一生き残った人物とされます。その後、播磨国・備前国の2ヶ国の知行権が与えられたものの播磨守護には藤原実明、備前守護には藤原光盛を推挙し自らは八条室町の自邸に籠居し文治2年(1186)に死去しています。史実としては頼盛は文治2年(1186)に死去している事から正治元年(1199)に当地に下向する事は不可能なので(当地では建保2年:1219年に信濃川の氾濫で溺死したとされます)、大竹家の祖先が自ら当地を開発したのかも知れません。敷地内には平頼盛を祀る「池公社」が寛永2年(1625)に創建され、代々篤く祀られ現在でも享和元年(1801)に再建された御堂が残されています。又、明治11年(1878)の明治天皇北陸巡幸の際には「水亭」と呼ばれる書院造りの建物が造営され、明治天皇が利用する事はありませんでしたが現存しています。
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