【 概 要 】−金峯神社は北国鎮護を目的として奈良時代に創建された古社で、修験道の本山である金峯山寺(奈良県吉野)から蔵王権現を古志郡楡原の地に勧請されました。創建当初は仏教色が強く、別当となった修験者秋葉三尺坊は信仰を北陸地方や信州地方まで広め、後に秋葉信仰の祖と云われました。往時は境内に様々な堂宇が建ち並び、複数の末寺、数千人とも云われる修験僧が勤めていましたが豪族との勢力争いや火災で堂宇が焼失するなどして次第に衰微しました。鎌倉時代の中期頃に地主神(産土神)を祀っていた又倉神社と合祀する事で神仏習合の形態をとって再興され再び栄えますが、南北朝時代には動乱に巻き込まれています。戦国時代に入ると春日山城の城主上杉家の庇護となり、天台宗から真言宗に改宗となり、慶長3年(1598)に上杉家が黒川会津城(福島県会津若松市)に移封になると新たな領主となる堀家から庇護されます。江戸時代に入ると、幕府の重鎮だった天台宗の高僧天海大僧正の命により再び天台宗に改宗し、寛永2年(1625)には東叡山寛永寺(東京都台東区上野)の支配下に入ります。その後は「越後中越地方の総鎮守」として徳川将軍家や、長岡藩(本城・長岡城)の城主牧野家から崇敬庇護され大きく繁栄し正徳3年(1711)に現在地である蔵王堂城跡地に遷座しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により別当寺院として祭祀を司ってきた安禅寺が廃寺となり仏教色も一掃され、社号を「金峯神社」に改め県社に列しました。
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