【 概 要 】−諏訪神社の創建は大化4年(648)に諏訪大社(現在の長野県にあたる信州国一宮、上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮の二社四宮で1つの諏訪大社を構成しています。)の分霊を諏訪山に勧請したのが始まりと伝わっています。当時、蝦夷の防衛拠点となった渟足柵(大化3年:647年に現在の新潟県新潟市東区付近に築かれたと推定される古代の城柵)、磐舟柵(大化4年:648年に現在の新潟県村上市岩船付近に築かれたと推定される古代の城柵。)には多くの信州国(現在の長野県)の人々が関わったとされ、両柵の中心近くの霊地が鎮座地になりました。その後、歴代領主から崇敬庇護され新発田氏が領主になると、居城である新発田城の城下付近となる現在の新発田市中曽根町に遷座しています。江戸時代に入ると新発田藩主溝口家の崇敬社となり新発田城の城内に遷座し社殿の造営や社領の寄進などが行われました。何度も遷座を繰り返し家臣増加によって泉町に遷座したのは元禄元年(1688)四代藩主溝口重雄の時で、宝暦6年(1756)七代藩主溝口直温の時に現在地に遷座し藩費で社殿を造営しています。平成13年(2001)に火災により江戸時代以来の社殿が焼失し平成16年(2003)に再建しています。
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