【 概 要 】−宝光寺は新発田藩藩主溝口家の歴代の菩提寺で、創建は溝口秀勝が加賀の領主だった頃(丹羽長秀の与力大名として大聖寺城の城主)、諦応寺(福井県若狭町:丹羽長秀が若狭国主の時代に家臣だった溝口家が懇意にしていたと思われます。曹洞宗。)の住職だった雪崗全林を召還し、雪崗全林の師である雪堂元初大和尚を勧請開山として迎えています。慶長3年(1598)、上杉景勝が春日山城(新潟県上越市)から会津黒川城(福島県会津若松市)移封に伴い、溝口秀勝が新発田領に入封、当初は五十公野に移り新発田城が完成すると現在地に移ります。当初は大麟寺と称していましたが溝口秀勝が死去すると法名(寶光寺殿前伯州太守性翁淨見大居士)から浄見寺と改称し、さらに宝光寺となりました(五代将軍徳川綱吉の法名が常憲院殿と称した為遠慮したと考えられます)。宝光寺は藩主の菩提寺として新発田藩の曹洞宗寺院の中でも格式が高く寺院を束ねる立場でもあり寺運が隆盛しています。宝光寺山門は弘化2年(1845)に再建されたもので三間三戸、入母屋、瓦葺き、2層目に高欄を廻す2重門で、花頭窓が見られるなど禅宗様式が見られます。宝光寺山門は新発田市に残されている数少ない楼門建築の遺構として貴重な事から昭和50年に新発田市指定有形文化財に指定されています。
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