【 概 要 】−内島見観音堂(国登録有形文化財)の本尊は内陣に設けられた厨子(一間社入母屋造、正面軒唐破風、妻入、黒漆塗)に安置されています。伝承によると、当地の豪族である岩村氏が大功を挙げ、室町幕府将軍足利義持から義持愛用の兜を拝領し、その兜には平安時代初期の高僧で真言宗の開祖となった弘法大師空海が彫刻したという霊仏が収められていたそうです。江戸時代中期に岩村氏の後裔が先祖伝来の霊仏を内島見観音堂に奉納すると、その霊験から元文年間(1736〜1740年)に長楽寺(阿賀野市)第17世住職 如霖道実和尚が創設した蒲原33観音霊場の28番札所に選定されました。仁王門(国登録有形文化財)に安置されている仁王像は、元々は二王子権現(新発田市田貝:現在の二王子神社)が所有していたものですが、明治時代の神仏分離令と、修験道廃止令により、境内から仏教色が一掃され、破棄を惜しんだ信者達の懇願により内島見観音堂の仁王門に遷された歴史を持っています。二王子権現は二王子岳を御神体と仰ぐ修験道の拠点で、延喜式神名帳に記載されている美久理神社の論社でもあり古くから格式の高い神社としても知れていました。内島見観音堂の仁王像は二王子権現時代の数少ない遺構として貴重な存在です。
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