【 概 要 】−御島石部神社が何時頃から祀られているのは判りませんが、神話の時代、大己貴命が居多神社(新潟県上越市)から舟で当地に赴くと、面白い形をした3つの島を見つけ、石部というもであろうと語った事から「御島石部」という名の由来になったとし、さらに海から浜辺に至る架け橋のような岩礁があった事を奇異と思い上陸したところ二田彦と石部彦が出現し酒を盛りをして持成した事が、現在の例祭として引き継がれている陸から島に御輿し御神酒を捧げるという神事に由来となっています。酒宴が終わると大己貴命は石部山に登拝し、山頂を霊地と悟り「此処は我が意に愛しとおもう石部の地」と発すると霊剣(御佩の剣)を掲げたとし、その霊験を御神体として祀ったのが御島石部神社の始まりとされます。平安時代に成立し朝廷が名社として認識した神社を列記した延喜式神名帳に記載された御島石部神社は当社とされますが、柏崎市北条に鎮座する御嶋石部神社も式内社を由緒とし、何れも決定的な資料が無い為に論社となっています。御島石部神社は永禄8年(1565)に知徳院から社領30貫が、元和8年(1622)には高田藩(本城・高田城)の藩主松平忠、寛永元年(1624)には高田藩の藩主松平光長が社領が安堵され、天領支配になると社領7石2斗8升が安堵されています。古くから御島石部神社は神仏習合し、社殿内部には応永23年(1416)に岩美法橋和尚、地頭屋代、弥御膳が寄進した、仏師左衛門太郎経吉作の木造毘沙門天像、木造不動明王像、木造神像半跏像などが安置され、明治時代の神仏分離令を経て村社に列しています。現在の御島石部神社の社殿は天保14年(1843)に造営され、弘化2年(1845)には熊谷出身の名工小林源太郎(熊谷源太郎)が随所に精緻な彫刻を施したもので柏崎市指定文化財に指定されています。
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