【 概 要 】−矢津八幡宮は大同2年(807)に征夷大将軍として当地に派兵された坂上田村麻呂が賊徒平定の祈願を行う為に八幡神を奉じ創建された神社で、その際、家臣と思われる従五位の上兵部大夫広継を矢津八幡宮の守護者として当地に配しています。天喜5年(1057)の前九年合戦の際には源義家が勅命により菅名庄の総鎮守だった矢津八幡宮で戦勝の願文が奉じられ、見事に俘囚長である阿部貞任を討ち取り乱を平定すると社地の寄進が行われています。その際、弓箭も同時に奉納され、この故事に因み矢津の地名の由来になったとも云われています。戦国時代の兵火により社殿が焼失し境内が荒廃しましたが正保元年(1644)に掘直吉が村松に入封し村松藩(本城:村松城)を立藩すると村松藩五社の一つとして再興され篤い庇護を受けました。明治時代の神仏分離令を経て明治6年(1873)に村社に列し明治時代後半から大正時代にかけて周辺の数多くの神社と合祀しています。現在の本殿は村松藩2代藩主堀直吉が寛文元年(1661)に再建したもので三間社流造、桁行4.27m、梁間3.72m、木羽葺、素木造、新潟県指定文化財に指定されています。又、矢津八幡宮は平安時代に朝廷から名社として認められた神社が列記された延喜式神名帳に記載された式内小社越後国蒲原郡長瀬神社の論社です(長瀬神社の論社は加茂市に2社(加茂市上条長瀬神社・加茂市宮寄上長瀬神社)存在し、そちらの方が有名です)。
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