【 概 要 】−五泉八幡宮の境内は五泉城の跡地です。五泉城は永徳2年(1382)に長尾憲顕によって築かれた平城で、当初は家臣である五泉数馬が城主を勤めたようです。上杉謙信の跡目争いである御舘の乱が終結すると、勝利した上杉景勝が恩賞を渋った事から、大功があったはずの新発田城(新潟県新発田市)の城主新発田重家には恩賞が与えられず結果的には上杉家家臣団から離反し対立関係となりました。天正11年(1583)、景勝は新発田城の侵攻の拠点と重家に同調した会津地方の領主芦名氏を押える役目として重臣である甘粕備後守景継を五泉城に配しこれにあたられました。天正15年(1587)、豊臣秀吉の後ろ盾を得てようやく新発田城が落城すると五泉城の重要性が失われ文禄2年(1593)に甘粕景継は庄内地方を押える為に亀ヶ崎城(山形県酒田市)に移封となっています。その後、五泉城は廃城となり慶安2年(1649)に跡地を境内として整備し八幡神を勧請し五泉八幡宮が創建しています。又、境内社である白山神社(祭神:白山比売命)は平安時代に成立した延喜式神名帳に式内社として記載された宇都良波志神社の論社とされます。ただし、宇都良波志神社の論社は当社の白山神社の他、五泉市橋田に鎮座する中山神社の境内社である天神神社と五泉市蛭野に境内を構える慈光寺の守護神である白山権現があります。
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