新潟県・加茂市・長瀬神社

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【 概 要 】−長瀬神社は天平勝宝8年(756)に創建されたと伝わる古社です。平安時代の成立した延喜式神名帳に列記されている長瀬神社を当社としています。ただし、式内社長瀬神社には当社の他、加茂市上条に鎮座する長瀬神社、五泉市村松町矢津に鎮座する矢津八幡宮が論社となっています。平安時代末期に城氏によって社殿が破棄された為に衰退しましたが建保2年(1214)に麓に岳山寺が創建された際に、守護神として再興されています。城氏は桓武平氏大掾氏の一族で平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて越後国の豪族として大きな影響力があり、鎌倉幕府創世記には頼朝に従い御家人となりましたが建仁元年(1201)に建仁の乱を起こし討伐されています。南北朝時代に入ると境内に岳山城が築城され南朝の武将である新田義宗(新田義貞の3男)が居城として利用し、岳山城は南朝方の重要拠点になったと思われます。正平23年(1368)には宗良親王(後醍醐天皇の第五皇子)と共に立て籠もりますが、義宗は討死、城の麓には義宗の墓碑と伝わる宝篋印塔が、参道には宗良親王の歌碑「山にても猶うきときのかくれかはありけるものを岩のかけ道」が建立されています。岳山寺が般盛によって中興され天台宗から真言宗に改宗すると、長瀬神社には熊野神(伊弉諾尊、伊弉册尊、速玉男命、事解男命)の分霊が勧請され「熊野権現」と呼ばれるようになっています。江戸時代の詳細は判りませんが、別当寺院である岳山寺には壮大な本堂、庫裡が設けられ寺運が隆盛していた事から長瀬神社も繁栄していたと思われます。明治時代初頭の神仏分離令により岳山寺とは分離しましたが、境内には観音堂(妙音閣)が建立されているなど神仏習合の名残が感じられます。

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