【 概 要 】−奈良時代後期の天平2年(730)に、疫病が蔓延し多くの人々が大変苦しみ、世情も悪化していました。日本で最初に大僧正という最高位となった事でも知られる行基菩薩が当地に布教で訪ねた際、地域が余りにも荒廃していたのを嘆き、虚空蔵尊の導きを得る為に1本の霊木から像高3尺3寸の虚空蔵尊像を2躯彫刻し、天平4年(732)にその内の1躯を当地に御堂を設けて安置しました。その後、虚空蔵尊の慈愛を得て疫病が治まり安寧な時代が訪れたと伝えられています。これが別所虚空蔵尊の創建の由緒で、残された1躯と別れた所だった事に因み「別所」の地名の由来となっています。享保2年(1717)と宝暦4年(1754)に火災により堂宇が焼失するなど災難がありましたがその都度再建され現在でも毎年2月の例祭には数多くの参拝者が訪れ信仰が続けられています。特に「福神仏」や「富神様」などの別称があり商売の神様として村松城下の商人達から篤く信仰されました。現在の堂宇は宝暦4年(1754)に火災の直後に慈光寺29世衡田祖量の発願により再建されたもので正面2間分は土間形式の外陣(参拝者が礼拝する場所)、中央2間分が内陣、内陣の中央には本尊が安置されています。別所虚空蔵尊堂は国登録有形文化財に登録されています。
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