【 概 要 】−石船神社の創建は不詳ですが、物部一族が岩舟(磐舟)で当地に進出し祖神である饒速日命を祀ったのが始まりとされ、地名の磐舟の由来になったと推定されています。その後、大化4年(648)に大和朝廷の前進基地となる磐舟柵が築造された際、関係者の奉祭施設として饒速日命が祀られていた祠を発展させ石船神社として成立、さらに、大同2年(807)に秋篠朝臣安人(北陸道観察使)が京都の貴船神社の分霊を勧請し合祀したことで貴船大明神と称するようになりました。又、石船神社の近くにある諸上寺が当初の別当寺院だったとされ、伽藍配置から諸上寺の境内が磐舟柵の政庁跡とする説があります。平安時代後期の延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている式内社には石船神社の記述があり、そこに記載されていた磐舟郡8座の筆頭だった事から、当時から格式の高い神社だった事が窺えます。中世に入ると石船神社は平林城の城主色部家、春日山城の城主上杉家、近世は村上城の城主から崇敬され、神領の寄進や社殿の造営などが行われています。又、江戸時代になると境内地に隣接する岩船港は村上城の外港、北前船の寄航地として大きく発展した為、海運業者や漁業関係者から篤く信仰され、現在の例祭も元々は海上安全や豊漁祈願の船霊祭りが発展したもので昭和63年(1988)に新潟県指定無形民族文化財に指定されています。正徳4年(1714)に正一位の神階が授けられ社名を本来の石船神社に戻しています。明治5年(1872)には県内でも青海神社(新潟県加茂市)と同じく2番目に縣社に列せられました。社殿の裏手に広がる社叢は昭和33年(1958)に新潟県指定天然記念物に指定されています。
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