【 概 要 】−青海神社の創建は神亀3年(726)周囲を支配した青海首一族が加茂山山麓に堂宇を建立し始祖椎根津彦命を祀ったのが始まりとされ、延暦13年(794)に京都の上加茂神社の別雷命、下加茂神社の賀茂建角身命と多多須玉依姫命を勧請したことで境内には本殿が3社建ち並び、地名、「加茂」の由来になったとされます。平安時代に成立した朝廷が格式の高い神社列記した延喜式神名帳にも式内社として記載され歴代領主からも崇敬され、天文14年(1545)には後奈良天皇の祈願所となり、国家静謐(日本が静かで落ち着いていること)と五穀豊穣が祈願され宣命と祭文が奉納されています。戦国時代には虎御前(長岡栖吉城主肥前守長尾顎吉の娘)が上杉謙信を身ごもった際に月参りで安産祈願を行い、見事三条城で謙信が生まれたと伝えられ、上杉時代に社領3千7百石が安堵されていました。江戸時代に入ると新発田藩主(新発田城の城主)である溝口家からの信仰が篤く、万治2年(1659)には3代藩主溝口宣直が社領3町歩を寄進し、延宝2年(1674)には4代藩主溝口重勝は子宝祈願を行い、宝暦7年(1757)には7代藩主溝口直温が社殿を改築しています。社宝に刀子一口、藤双鶴文鏡、銅製経筒がありいずれも新潟県指定重要文化財に指定されています。
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