【 概 要 】−藤基神社の創建は享保2年(1717)に5代主内藤弌信が先祖である内藤信成公を江戸永田町にあった江戸藩邸敷地内に聖廟を建立したのが始まりとされます。嘉永2年(1849)に村上城の城内となる現在地に11代内藤信親が社殿を建立し江戸藩邸から分霊を勧請しました。社殿の詳細は、案内板によると「 藤基神社社殿は、総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造りの建物です。嘉永2年(1849)に当時の工匠がその技を結集し8年の歳月を費やして造りあげたものです。村上の生んだ工匠 有磯周斎によるかご彫りとよばれる彫刻の傑作を各所に残しております。・・・(後略)」とあります。 内藤信成は松平広忠の庶子で徳川家康の異母弟とされる人物で家康の側近として武功を重ね内藤家を確立した事から社殿形式を徳川家康の霊廟のあらる日光東照宮(栃木県日光市)と同じ形式が採用されたと思われます。近くに境内を構える内藤家の菩提寺である光徳寺の本堂にも歴代徳川将軍家の位牌が上段、歴代内藤家当主の位牌が下段に安置され、徳川家と内藤家の繋がりが窺えます。又、境内にある藤基神社社殿、旧村上城石垣石段、社殿附属建造物、種川碑、鳥居三十郎碑、村上藩士殉難碑は村上市指定史跡に指定されています。
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