【 概 要 】−安田城は12世紀末に鎌倉幕府が成立後に白河庄(現在の新潟市北区の一部を含む阿賀野市周辺)の地頭に就任した大見氏が設けた居館が原点になった平城です。大見氏は伊豆国大見郷(静岡県伊豆市)出身の豪族で、鎌倉幕府成立に尽力した功績により御家人となりその一族が当地配されたと思われます。その後、大見氏は地名に因み安田氏を称するようなり長く当地を支配し安田城を随時拡張整備されたと思われます(水原氏も大見氏から派生した一族とされます)。戦国時代に入ると安田氏は越後国守護代の長尾家や上杉家に従い、上杉謙信(関東管領、越後守護職、春日山城の城主)時代には川中島合戦にも従軍し当時の城主安田長秀(又は子供と思われる安田有重)は謙信より血染めの感状を賜っています。謙信が死没後は上杉景勝に従った為、御館の乱では上杉景虎に与した芦名氏と対立し安田城も攻防戦が繰り広げられました。慶長3年(1598)に景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になると当時の城主安田堅親も従い安田城を離れ(仙道2千5百)、変わって本庄城(村上城:新潟県村上市)に入った村上頼勝の家臣吉武右近が配されます。元和4年(1618)、跡を継いだ村上忠勝は御家騒動により改易となり、新たに村上藩主(村上城の城主)となった堀直寄の支配下に入りますが元和8年(1622)に一国一城令を受けて安田城は廃城となります。寛永16年(1639)、直寄の次男の直時が3万石を分知され安田藩が立藩、安田城は藩庁、藩主居館が置かれ再び整備、ただし、直時は城持格では無かった為に陣屋構えに留まっています。正保元年(1644)、跡を継いだ堀直吉は村松城(新潟県五泉市)に移封になった為、安田藩は廃藩となり安田城も廃城となっています。安田城の城跡は水堀や土塁などの遺構が残され新潟県指定史跡に指定されています。
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