【 概 要 】−優婆尊の創建は奈良時代後期の天平5年、行基上人が巡錫で当地を訪れた際、霊夢で懸衣婆が出現し「私の姿をした尊像を彫刻して安置するば住民達を安寧に導くであろう」と告げ目が覚めたそうです。行基はその御告げを住民に話すと村人の1人から近くの山の中に霊木がある事を教えてもらい、早速その霊木を切り出し尊像を制作し祀るようになったと伝えられています。その後、天正14年(1586)に華報寺の住職の霊夢に懸衣婆が出現し「尊像を十字街に祀ってほしい」との御告げがあり、御告げに従い現在地に堂宇を建立し高徳寺を開山しました。懸衣婆は一般的には天界とこの世の境にある三途の川の川縁に住み、三途の川に渡る船賃である六文銭を持っていない亡者に対し、船賃代として服を剥ぎ取る鬼ですが、懸衣婆=優婆尊=うば尊=乳母尊に転じる事から安産と子宝に御利益があるとして信仰の対象となりました(全国的には疫病除けや咳止め、子供の百日咳に御利益があるとして江戸時代末期には優婆尊を祭る御堂が各地に設けられ民間信仰の対象となりました)。当地の境内には江戸時代末期に建て替えられた本堂や巨木、参道の両脇に二股に分かれた杉、鉄分が多量に含まれている優婆尊御霊水などもありは歴史と信仰の深さを感じることができます。
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