【 概 要 】−雲洞庵(南魚沼市)の創建は養老元年(717)に藤原房前が母の菩提を弔うため真言宗の寺院を開基したと伝えられています。藤原房前は飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族で藤原不比等の2男、太政大臣などの要職を歴任し、母親が出家して当地に庵を設けて霊泉を用いて数多くの病人の看病を行った事から、当地に雲洞庵を開きました。その後、一時衰退しますが応永20年(1420)に当時の関東管領だった上杉憲実が藤原氏末裔の縁で、村上耕雲寺(村上市)の住職顕窓慶字禅師を請して曹洞宗の寺として中興開山しました。春日山城の城主上杉謙信や甲斐の武田信玄に帰依され、特に雲洞庵10世北高全祝は武田信玄の招きにより信濃国佐久郡岩村田(現在の長野県佐久市岩村田)に境内を構える竜雲寺住職となり、竜雲寺は信濃武田領曹洞宗の総録所となています。雲洞庵は江戸時代に入っても寺運は栄え、村上耕雲寺、種月寺(新潟市)、慈光寺(五泉市)と共に越後四ヵ道場の1つに数えられました。又、幼少の頃の喜平次(上杉景勝)と与六(直江兼続:上杉家執政)が学問を学んだ所としても知られています。「雲洞庵の土踏んだか」の由来については、案内板によると「 永享元年(西暦1429年)関東管領家より10万石の格式をいただき、赤門を建立、本堂までの石畳の下に法華経を一石一字づつ刻み敷きつめたことから、昔1年に1度赤門が開かれた時お参りすると御利益があると云われ善男善女が有難さに随喜して言い合ったのだと云われている。」とあります。雲洞庵本堂は江戸時代中期の宝永4年(1707)から正徳3年(1713)に建立したと伝えられる一部銅板葺きの入母屋造りの貴重な建築物で新潟県指定文化財に指定されています。
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