新潟県・小千谷市・小栗山木喰観音堂

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【 概 要 】−木喰上人(木喰五行上人、木喰明満上人)は江戸時代後期の仏教行者で全国各地に巡錫し夥しい数の仏像を彫刻した人物です。享保3年(1718)に現在の山梨県南巨摩郡身延町古関の名主伊藤家の出身で14歳の時に家出同然に江戸に出立し、元文4年(1739)に大山不動(神奈川県伊勢原市)で出家、安永2年(1773)から全国を巡錫するようになり北は北海道、南は鹿児島まで全国各地に仏像を残しています。仏像の特徴は、一木造り、細部をデフォルメし、特に柔和な表現が独特な印象を与えます。小栗山木喰観音堂の作品は木喰上人が86歳の当地域に滞在していた際(享和3年:1803年から4年間小栗山集落に滞在)、たまたま正福寺観音堂が焼失、享和3年(1803)に観音堂が再建した事を受けて三十三観音像ほか2像が木喰上人によって彫刻され、安置されました。小栗山木喰観音堂の本尊である如意輪観音像はイチョウ(岩間木集落に生えていたイチョウの大木を住民達が切り出し、その1本から1カ月かけて彫刻したとされます)、一木造、像高240cm、背中の銘には「享和三年八月朔日日本千タイの内天下和順・日月清明天一自在法門日本廻国八十六歳木喰五行菩薩」が記され、両脇には行基菩薩像(像高120cm)、大黒天像(像高121cm)が安置されています(残りの仏像は像高70〜80cm)。「木喰上人作三十三観音他二像」として昭和43年(1968)に新潟県指定有形文化財に指定されています。

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