新潟県・小千谷市・慈眼寺

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【 概 要 】−慈眼寺は弘文元年(672)、薩明大徳によって創建されたと伝わる名刹でる。当初は魚沼神社(延喜式内社の論社)の別当寺として池源寺と称していましたが一時衰退し、江戸時代初期の寛永元年(1624)に船岡山観音院慈眼寺として再興されます。慈眼寺の本尊である聖観世音菩薩像は平安時代初期の大同年間(806〜810年)にこの地を訪れた弘法大師空海(奈良時代の高僧、真言宗の開祖)が自ら彫り込んだ一刀三礼の作で広く信仰の対象となりました。元禄4年(1691)に慈眼寺の聖観世音菩薩像が江戸出開帳したとき五代将軍徳川綱吉も参拝し、供養料として和歌を記した扇子を奉納し現在も寺宝として所有しています。又、慈眼寺本堂は慶応4年(1868)に長岡藩家老河井継之助と新政府軍軍艦岩村精一郎が会談した場所として知られ、この会談が亀裂した事で北越戊辰戦争が事実上開戦しました(会談と言っても岩村精一郎は全く聞く耳を持たず長岡藩(本城・長岡城)の藩主の意見を書した歎願書に目を通す事も無かったとされます。結果的に予想以上の長岡藩の抵抗が激しく、新政府軍にも多大な被害を出した事から、後に政府高官から岩村精一郎が叱咤されたとも云われています)。慈眼寺の本堂には会談が行われた部屋が現存し、名称「岩村・河井会談の処」として小千谷市指定史跡に指定されています。

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慈眼寺(小千谷市):周辺の見所

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