【 概 要 】−諸上寺は何時頃から信仰されたのかは不詳ですが、大化4年(648)に当地に築かれたと推定され古代の城柵である磐舟柵が築かれると、それに携わる人々の信仰の場として石船神社が創建され、石船神社の別当寺院として諸上寺が開山したと推定されています。当初は感応寺と称し真言宗(又は天台宗)の寺院でしたが時代と共に衰退し、文明7年(1475)に曹洞宗の名刹として知られた耕雲寺の徳厳宗欽が曹洞宗の寺院として再興し寺号を諸上寺と改称し境内を整備しました。戦国時代になると諸上寺は再び衰退しましたが、本庄城(村上城)の城主本庄氏は曹洞宗に帰依した事もあり、自らの菩提寺である長楽寺を天文9年(1540)に耕雲寺の三心宗伊を招いて開山し、次いで永禄7年(1564)に耕雲寺の岩室文松を招いて諸上寺を再興しています。慶長3年(1598)に本庄氏の主家である上杉景勝が居城を春日城(新潟県上越市)から会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になると本庄氏も従い当地を離れた為、諸上寺は衰微しましたが江戸時代に入ると歴代村上藩主に庇護のもと諸堂が整備され文政13年(1830)に現在の本堂が建てられました。特に庭園は裏山を借景とした名園とされ「花を見るなら岩船の諸上寺、梅に桜につつじに椿、 咲いてからまる藤の花」と唄われていました。
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