新潟県・村上市・千眼寺・保呂羽堂

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【 概 要 】−千眼寺の創建は長禄元年(1457)に創建された寺院で、天文元年(1532)に色部昌長により真言宗から当地域の曹洞宗寺院の中心だった耕雲寺(新潟県村上市)の10世大沖玄甫を勧請し曹洞宗に改宗、天正年間(1573〜1593年)に平林城の城主色部長真により現在の大字桃川にある千眼寺谷から現在地に境内を移し、色部家歴代の菩提寺としました。色部勝長は上杉謙信の重臣として関東侵攻や川中島の戦いなど数多くの戦に従軍し大功を挙げた人物として知られ、当初は兄である色部顕長が当主を継ぎましたが、病弱だった為に長真がその跡を継いでいます。長真は上杉謙信に仕え、謙信の死後は上杉景勝に与して上杉家の跡目争いである御舘の乱を戦い抜き重臣として抜擢されています。天正18年(1590)に豊臣秀吉による奥州仕置きの軋轢により「仙北一揆」が発生すると、大森城(秋田県横手市大森町)に赴任して一揆鎮圧に尽力、その際、大森町に鎮座し延喜式神名帳に式内社として記載されていた保呂羽山波宇志別神社を篤く信仰するようになり、天正19年(1591)に平林城に帰城する際に分霊が勧請され、千眼寺の守護神とし保呂羽堂が造営されています。慶長3年(1598)に主家上杉景勝が居城を春日山城(新潟県上越市)から会津黒川城(福島県会津若松市)に移ると跡を継いだ色部光長は金山城(山形県南陽市)に配され、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後は置賜郡窪田村(山形県米沢市窪田町)を知行地とし、同所にも菩提寺と守護神として千眼寺と保呂羽堂が創建されています。村上市の千眼寺は引き続き当初に境内を構え信仰を続け、明治時代の神仏分離令により保呂羽神社は形式的には保呂羽堂となり本地仏は千眼寺に遷されています。山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門、上層部には花頭窓、木部朱塗り。本堂は近代建築。保呂羽堂は安政5年(1858)に再建された古建築として貴重な事から村上市(旧神林村)指定文化財に指定されています。

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