新潟県・上越市・高田城

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【 概 要 】−高田城(新潟県上越市)は松平忠輝によって築かれた天下普請の平城です。忠輝は徳川家康の6男として生まれましたが、幼少の頃より家康から疎まれたとされ辛酸を舐めたと云われています。慶長4年(1599)にようやく大名に抜擢され慶長8年(1603)に川中島藩(長野県長野市)に12万石で移封、さらに慶長15年(1610)に福島藩75万石で入封しました。しかし、本城だった福島城は大大名となった忠輝の居城としては狭小で、外様大名で100万石を領した加賀藩前田家を押える上でも大城郭が必要だった為、改めて高田城が築かれました。築城にあたっては正室五郎八姫の父親である伊達政宗が縄張りを行うなど複数の大名が普請に借り出され天下普請として築かれ慶長19年(1614)に一応の完成をみました。築城当時は豊臣家の対立が逼迫しており築城には4ヶ月という短期間で行われ、規模が広大だったものの、石垣や天守閣のない親藩の大大名の居城としては異例な城郭でした。元和2年(1616、徳川家康が重病になった際、忠輝は許可を得ず、家康の居る駿府城(静岡県静岡市)に赴いた事により、伊勢朝熊に流罪となり松平家は改易、変わって高崎藩(群馬県高崎市)から酒井家次が入封しています。その後は松平忠昌、松平光長、稲葉正往、戸田忠真、松平定重が入封し榊原政岑以後は榊原家が藩主を歴任して明治維新を迎えています。明治3年(1870)の火事により本丸周辺が悉く焼失し明治4年(1861)に廃藩置県により高田藩が廃藩となり、明治6年(1863)の廃城令を受けて、城は払い下げ、又は破却され、その後は軍により摂取、明治時代後期には第13師団指令部の設置され残された遺構も大きく改変されました。現在は高田公園として整備され桜の名所(日本三大夜桜)としても知られて昭和29年(1954)に新潟県指定史跡に指定されています。

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高田城(上越市):周辺の見所

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