新潟県・上越市・五智国分寺

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【 概 要 】−五智国分寺の創建は天平年間(729〜49)に聖武天皇の勅願によって各国ごとに建てられた国分寺の一つとされ勅命を受けた高僧として知られた行基菩薩が開山に関わったとされます。越後国分寺の分祀とされ本尊を大日如来像、薬師如来像、宝生如来像、釈迦如来像、阿弥陀如来像の五智如来を祀っていることから五智国分寺と呼ばれています。その後、衰退した為、創建当時の国分寺の位置は不明で境内が海中没したという説もあります。承元年間(1207〜11)に、越後へ流された親鸞上人が、国分寺に滞在した旧跡でもあり信仰の対象でしたが時代によって隆盛、衰退を繰り返し戦国時代にはかなり荒れ果てた状態だったとそうです。春日山城の城主である上杉謙信はそれを愁い、永禄5年(1562)に堂宇を整備、再興し70余坊を抱える大寺院となりました。江戸時代に入っても幕府が庇護し、寺領200石の朱印状を寄進しています。江戸時代では何度も火災にあい現在の建物は元禄6年(1693)に建てられた経蔵(上越市最古)をはじめ天保6年(1835)に建てられた仁王門、慶応元年(1865)に上棟された三重塔が残されています。特に五智国分寺の三重塔は棟梁、木曽武川常右衛門、江崎長三郎が20年の年月をかけて建てられたもので壁面には石倉正義銘が彫り上げたという十二支と中国十二孝がはめ込まれています。五智国分寺三重塔は昭和51年に新潟県指定重要文化財に指定されています。

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