魚沼市・目黒家住宅(大庄屋)

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【 概 要 】−目黒家は中世は芦名氏(戦国時代に現在の福島県会津地方を治めた大大名で最盛期には80万石領したとも。)に仕える武士でしたが、天正17年(1589)に芦名氏が摺上原の戦いで伊達政宗(小田原参陣に遅参と惣無事令違反により、芦名領は認められなかった。)に敗れると主君に随行せず天正18年(1590)に越後国北魚沼広瀬谷に土着しました。その後、肝煎役(上条郷15ヶ村)、中庄屋(上条郷25ヶ村)、割元役(糸魚川藩領須原村)、大庄屋(糸魚川藩領23ヶ村)を歴任し安永年間(1772〜1780年)には140石、造酒200石、奉公人20人、大正時代には農地165町歩、小作人総数325人を誇る当地域を代表する豪農に発展します。又、明治時代以降は新潟県議会議員や帝国議会の衆議院議員も輩出し当地域の開発にも尽力しています。現在の目黒家住宅は寛政9年(1797)に11代五郎助が建てたもので寄棟、茅葺、桁行16間、梁間6間の規模を誇り新潟県内屈指の豪農住宅(豪農の館)と言えます。又、目黒家は役宅として藩役人を招き入れる事もあり目黒家住宅の中門屋根は千鳥破風を設え、槍の間、中の間、奥座敷などの接客空間も充実し格式の高さが窺えます。目黒家住宅は昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。
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