【 概 要 】−国上寺は和銅2年(709)に新潟県弥彦村に鎮座し越後国一宮とされる弥彦神社の祭神の神託により金智大徳が創建した古寺です。孝謙天皇の在位(749〜758年)の時代に寺号「国中上一寺」を賜り、略して「国上寺」と呼ばれるようになりました。又、桓武天皇の皇子の家臣である否瀬善次俊綱が戸隠神社(長野県長野市)に子宝祈願をして得た外道丸が乱暴が酷く国上寺に預けられ改心したものの余りにも美男子だった為、恋に敗れた女子達の自殺が絶えなかった事から、その恨みによって鬼の顔となり「酒呑童子」と呼ばれるようになったと伝えられています。平安時代には高僧として知られた慈覚大師円仁、平安時代末期には源義経が兄である源頼朝に追討され、奥州平泉(岩手県平泉町)に逃れる際に国上寺を訪れた大黒天像を寄進したと伝えられています。戦国時代に入ると国上寺は上杉謙信(春日山城の城主)から帰依され十万石の格式を認められ山内には21カ寺を擁する大寺院となりました。江戸時代末期には良寛和尚が訪れ、国上寺の境内にあった五合庵で長期間生活の拠点としていた事でも知られ史跡(良寛修業地:五合庵境内・乙子神社境内:新潟県指定史跡)となっています。国上寺に安置されている木造千手観音菩薩像は鎌倉時代作、像高108.6cm、寄木造り、意匠的に優れ保存状態も良く貴重な事から新潟県指定文化財に指定されています。
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