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【 概 要 】−長徳寺の創建は天正13年(1585)に細川政元(室町幕府管領、丹波国・摂津国・土佐国守護職)の家臣だったとされる関根慶順が巡錫で当地を訪れた際に一宇を設けたのが始まりとされます。慶長3年(1598)に2世宗賢が本山から徳寺の寺号を賜っています。赤穂47士の1人堀部安兵衛の生家である中山家(新発田藩士200石取り)の菩提寺として有名で、安兵衛も14歳まで新発田城下で過しました。父親とされる中山弥次右衛門は天和3年(1683)に新発田城の見回り当番中に辰巳櫓が失火した責を取り浪人となり、安兵衛は母親方の溝口家の世話となり、母親が死去すると姉の嫁ぎ先である庄瀬牛ア村の長井弥五左衛門宅で修行し、長徳寺に印籠を預け、境内に松を手植えして江戸に出立したと伝えられています。長徳寺の境内には赤穂義士47体の木像が収められている義士堂と安兵衛が手植えしたと伝わる石台松(初代は平成9年び老齢の為伐採され現在は二代目)があります。「赤穂四十七士木像及び長徳寺義士堂」は新発田市指定有形文化財(歴史資料)に指定されています。 |
長徳寺(新発田市):周辺の見所 |
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