【 概 要 】−菅谷不動尊は文治元年(1185)に源頼朝の叔父とされる護念慈応上人によって創建された寺院です。菅谷不動尊の本尊である不動尊像は印度の仏師ビシュカツマの作で唐に修業していた最澄大師が帰国した際に修行場だった比叡山(後の比叡山延暦寺)に持ち帰ったとされます。平治の乱の混乱を避ける為、護念慈応上人が当時安置されていた比叡山無動寺から不動尊持ち出し諸国を布教した後に菅谷に辿り着き御堂を設けて安置したという経緯が伝えられています。その為、菅谷不動尊は三国伝来の霊仏として日本三大不動尊の一つにあげる人もいます(諸説ありますが日本三大不動尊は成田不動尊、目黒不動尊、木原不動尊、中野不動尊などが挙げられています)。その後の経緯は判りませんが、鎌倉時代に成立した日本の歴史書である「吾妻鏡(東鑑)」によると、地頭として当地に配された鎌倉幕府御家人の佐々木盛綱が護念慈応上人について源頼朝に報告した旨が記載されている事から、佐々木氏やその後裔の一族が庇護したと思われます。菅谷不動尊山門は江戸時代末期の慶応2年(1866)に村上の宮大工板垣伊兵衛が棟梁として建てたもので三間一戸、入母屋、瓦葺、2層に高欄を廻した楼門建築、細部の彫刻など凝った意匠、本堂は江戸時代中期の明和7年(1770)に再建されたもので、入母屋、銅板葺き(元茅葺)、5間4面、2間の向拝に唐破風を設えた格式ある建物です。菅谷不動尊の山門と本堂は江戸時代に建てられた寺院建築として貴重な事から新発田市指定文化財に指定されています。その他にも菅谷不動尊の境内には開山堂や薬師堂、弁天堂など建物や"みたらせの滝(ここに住む田螺が菅谷不動尊が火災にあった際、水を吹き掛けて本尊だけは守り通したとの伝説が残されています)"などもあり信仰の篤さを感じます。菅谷不動尊は源頼朝の娘の眼病を祈念して完治させたとの伝承から特に眼病に御利益があるとして広く信仰を集めています。
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