新潟県・三条市・八木神社

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【 概 要 】−八木神社が何時頃から祀られているのは判りませんが平安時代初期の大同2年(807)に守門大明神が勧請された際には、既に八木大明神が鎮座していたとされ、当初の鎮座地とされる八木ヶ鼻は景勝地として知られ、古代人達から信仰の対象になっていたとも考えられます。八木神社は平安時代に成立した延喜式神名帳に式内社として記載された「伊加良志神社」とも云われ古くから格式の高い神社だったと思われます。その後の詳細は不詳ですが南北朝の動乱の際、南朝方の武将だった新田義宗により、新田家の祖神が八木神社に祀られるようになったとされます。新田義宗は新田義貞の子供で正平23年(1368)頃には新潟県加茂市にある岳山城を築き、宗良親王(後醍醐天皇第五皇子)と共に北朝方と対したと伝えられています。八木神社の境内には新田家の後裔である新田重基の「八木やまのこかげ涼しく わき出し清水は神の 恵みとぞおもふ」の歌碑(神恵泉歌碑)が建立され神紋は新田家の家紋が掲げられています。室町時代の応永33年(1426)に八木神社の境内背後の高台に高城城(三条市指定史跡)が築かれると、城主である下田長尾家から庇護され太刀などが庇護されました。下田長尾氏は戦国時代に春日山城新潟県上越市)の城主上杉謙信に従いましたが、その後対立し永禄11年(1568)に謙信の命を受けた村上城新潟県村上市)の城主本庄繁長に忙殺され、高城城も栃尾城新潟県長岡市)の城主本庄氏に侵攻され落城しています。庇護者を失った八木神社も衰微したと思われますが、江戸時代に入ると村松藩(新潟県五泉市:本城−村松城)の藩主堀家から庇護されています。八木神社の社殿は江戸時代初期から中期に建てられた古建築物として貴重な事から三条市指定有形文化財に指定されています。

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八木神社(三条市):周辺の見所

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