【 概 要 】−白山神社の創建は大宝2年(702)に勧請したといわれる古社で(石川県白山市に鎮座する白山比盗_社の祭神を勧請したと思われます)、泰澄大師(白山を開山した修験の高僧)が社殿を建立し修験道場としました。祭神は、奴奈川姫命で延喜式神名帳に記載されている奴奈川神社の論社として古くから信仰の対象となり歴代領主からも崇敬されました。ただし、奴奈川神社の論社は複数あり、当社の他、糸魚川市一の宮に鎮座する天津神社の境内社奴奈川神社、糸魚川市田伏に鎮座する奴奈川神社があげられます。別当である能生山泰平寺宝光院も同時に繁栄し最盛期には広大な境内に七堂伽藍を造営し末社75社、50余坊を数えたそうです。江戸時代に入った元禄2年(1689)には松尾芭蕉と曾良が能生に宿泊しおり"曙や 霧にうつまく かねの声"の句を残し、境内にはその句碑が建っています。文化財を多数所有し、聖観音立像と白山神社本殿が国指定重要文化財、糸魚川・熊生の舞楽が国指定重要無形民俗文化財、能生白山神社の海上信仰資料が国指定有形民俗文化財、白山神社社叢と熊生ヒメハルゼミ発生地が国指定天然記念物、十一面観音立像と汐路の鐘、泰澄大師坐像、舞楽面(5面)は新潟県指定重要文化財、白山神社拝殿と朱印状(11通)、紺紙金字一切経・般若波羅密多経巻(第357)、棟札、円鏡・八稜鏡が糸魚川市指定文化財に指定されています。
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