【 概 要 】−天津神社は案内板によると「 ・・・(前略)人皇第十二代景行天皇の御宇の創設に係人皇第三十六代孝徳天皇の勅願所たりと云ひ傳へ延喜式内社の一ならむと推稱せらる 社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れのため此の地に移し造營したりと傳ふ 此の地方は往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ媛と契らせ給へりと云ふ史實と御二方の間に生れましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ遠近を開拓統治し給へりと云ふ傳説とに徴すれば此の地は神代に於て國津神の威武を内外に發揚し給へる重要なる基地たりしを想察するに足るただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは後世天神地祇其の處を換へたるに依るならむか・・・(後略)」とあります。天津神社は越後国一宮を称する古社で延喜式神名帳に記載されている大神社の論社と考えられています。ただし、大神社の論社は複数あり、天津神社の他、糸魚川市平に鎮座する大神社、糸魚川市大野に鎮座する大野神社、糸魚川市藤崎に鎮座する藤崎神社、上越市吉川区尾神に鎮座する大神社、妙高市関山に鎮座する関山神社があげられます。境内社の奴奈川神社も同じく式内社奴奈川神社の論社です。奴奈川神社の論社も当社の他、糸魚川市能生に鎮座する白山神社、糸魚川市田伏に鎮座する奴奈川神社があげられます。天津神社、奴奈川神社ともに古建築物で天津神社の拝殿は寛文2年(1662)、幣殿は天明2年(1782)、本殿は寛政9年(1797)にそれぞれ建築されています。奴奈川神社本殿は寛政10年(1798)に建築されています。
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