【 概 要 】−孝順寺の創建の詳細は不明ですが各地を点々としてその都度寺名を変えたとされています。当初は専念寺と称し、以後、願成寺、長福寺、本詳寺と変わり江戸時代中期に現在の孝順寺となりました。現在の本堂と境内の敷地は越後の豪農斉藤家の旧邸を孝順寺が買い取ったもので、特に池泉回遊式の大庭園は見応えがあります。本堂も寺院建築で見られるような重厚性が少なく書院造り風の洗練された建築で庭園と一体化しています。又、境内には越後七不思議の一つに数えられる「保田の三度栗」があります。保田の三度栗は伝説によると" 親鸞上人がこの地へ布教へ訪れた際、上人をもてなす為、一人の老女が焼き栗と古びれた毛布を差し出しました。親鸞は老女の身の上を聞くと、老女は夫は渡辺綱の後裔に当たる人物でしたが、源平の合戦の際に平家に討たれ、私は子供と共に越後に逃れ難儀な生活をしている事を話しました。その話しを聞いた親鸞は焼き栗を1つ残し、なにやら念仏を唱えると、「私が教えている阿弥陀様を信仰すれば、この栗のように1年に3度花が咲き葉の先は二つに分かれるようにあなたも子孫も末永く栄えるでしょう。」と告げて去っていきました。老女の子供も親鸞の教化を受けて出家し専念坊の法名を授けられ、当寺を開山したと伝えられています。
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