新潟県・妙高市・妙高堂(木曽義仲)

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【 概 要 】−妙高堂は関山神社や関山神社の別当寺院である宝蔵院の奥の院として建立されたもので、元々は妙高山の山頂に境内をかまえていました。妙高山は山岳信仰の霊山として広く信仰され和銅元年(706)に裸行上人の登拝をもって開山し、名称の「妙高」も仏教界の中心として高く聳える「須弥山」の別称に由来しています。平安時代末期の寿永元年(1182)には木曽源氏頭領の木曽義仲が守り本尊である阿弥陀如来像を奉納し平家打倒の戦勝祈願しました。木曽義仲は家臣である五位野与左ェ門に4年毎に堂宇の建替造営を命じると義仲死後にも引き継がれ明治時代初頭に神仏分離令が発令されるまで続けられました。戦国大名で春日山城(新潟県上越市)の城主上杉謙信も出陣の折妙高山山頂へ登り妙高堂に籠り戦勝祈願をしたとされ謙信が登れない場合は名代として南方山講が参拝し、この名代参拝も謙信死後も引き継がれ現在も行われています。妙高堂は神仏分離令後に山頂から現在地に移されましたが明治28年に火災にあい焼失、大正15年に再建しています。本尊である妙高三尊阿弥陀如来像(中尊:阿弥陀如来像)は新潟県重要文化財に指定されています(脇侍:勢至菩薩像、観世音菩薩像は妙高市指定文化財)。又、境内には"生けこみ"式石仏群(胸から下を地中に埋め込んでいる。)は平安時代に製作された北陸地方を代表するもので新潟県重要文化財に指定されています。

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