【 概 要 】−護徳寺は新潟県阿賀町日出谷甲に境内を構える古寺です。護徳寺が何時頃から開かれたのかは判りませんが、室町時代の永正年間(1504〜1521年)に会津地方の領主(当時は津川地方まで会津領内だった)芦名氏の念持仏(聖観世音菩薩)を祀る為に一宇を設けたとも、永正9年(1512)に尊栄和尚により開山したとも云われ何れにしても室町時代後期頃に開山したようです。その後、護徳寺は大永元年(1521)に芦名盛滋(芦名氏第14代当主)が会下宥円(越後国小川荘津川玉和泉寺の僧侶)を召還し真言宗の寺院として改宗開山しています。現在の護徳寺観音堂は昭和42年(1967)の解体修理工事の際に弘治3年(1557)の墨書が発見された事から、この年の前後に造営された事が明確で、時代的にも芦名氏関係者が大檀那として尽力したと推察されます。天正17年(1589)の摺上原の戦いで伊達政宗に大敗を喫した芦名義広(佐竹義重の2男、芦名家に養子に入ったものの、まだ若かった事もあり、家臣が佐竹派と伊達派に分裂し纏める事が出来なかったようです。最後は武田家と同様に伊達派の家臣達が伊達家の調略により芦名氏を見限り瓦解しました。)は実家の佐竹本家を頼り常陸国(現在の茨城県)に退いた事で、芦名氏の家臣33名が護徳寺まで退去し観音堂の内壁に様々な落書きを残し歴史的な資料となっています(この時に芦名氏縁の仏像が運び込まれたのかも知れません)。護徳寺は芦名氏という庇護者を失い衰微したと思われますが、江戸時代に入ると会津藩主松平家から庇護され、度々堂宇の営繕工事が行われます。護徳寺観音堂が国指定重要文化財に指定されている他、安置されている木造地蔵菩薩立像(室町時代、像高76.6cm、一木造)と木造聖観音菩薩立像(室町時代、像高82cm、桂材、一木造)が平成17年(2005)に阿賀町指定有形文化財(彫刻)に指定されています。
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