【 概 要 】−毘沙門堂の創建は大同2年(807)に坂上田村麻呂が開基したと伝えられています。鎌倉幕府の庇護によりこの地の地頭職であった平繁基が承久3年(1221)寺領を寄進し、僧道乗坊辯覚が開山した普光寺を別当にしました。室町時代になると周辺の領主から普光寺への寺領の寄進が多くなった事で寺運が隆盛し桁行五間、梁間五間、屋根入母屋造、茅葺の壮大な伽藍が建立されたそうです。戦国時代末期になると春日山城の城主上杉謙信が毘沙門天に帰依していたこともあり毘沙門堂が信仰の対象となっています。江戸時代に入った慶長8年(1603)に坂戸城主堀丹後守直寄候が30石の寺領を寄進したことで合計50石となり、慶安年間からは3代将軍徳川家光がそれらの所領を安堵し歴代将軍もこれに倣いました。又、普光寺の境内は三国街道に接し、門前町は宿場町でもあった為、信者だけでなく旅人や商人など多くの参拝者があったと思われます。昭和6年に当時の国特別保護建造物に指定された普光寺毘沙門堂は火災により炎上しましたが、江戸時代に建てられた本堂や山門(豪商、関市四郎氏寄進)は焼け残り当時の繁栄を今に伝えています。特に山門は三間一戸、入母屋、銅板葺きの楼門で日光東照宮の陽明門を模したものとされ天井の双龍図板絵は、谷文晁師が描いたものとされます。普光寺楼門は南魚沼市指定文化財となっています。
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