新潟県・五泉市・慈光寺

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【 概 要 】−慈光寺が何時頃から信仰を始めたのかは判りませんが、慈光寺の背後に聳える白山が信仰の対象となり、その拠点だったと考えられます。当初の白山の山頂には薬師如来が祀られていた事から薬師嶽と呼ばれ、山頂から湧き出る「サバ池」は旱魃でも枯れない事から雨乞いに御利益があるとして信仰されたと思われます。白山に祭られている薬師如来像は真言宗の開祖である弘法大師空海が彫刻したと伝えられている事から慈光寺の前身となる寺院は真言宗だったと推察されます。一方、白山の地中からは様々な鉄仏が発見されている事から浄土信仰とも関係が深かった事が窺えます。その後、応永10年(1403)に周辺の領主だった神戸太良最重が開基となり現在の村上市にある耕雲寺の住職傑堂能勝禅師和尚が中興開山したと伝えられています。伝説によると、当時白山の麓にある池に巣食う大蛇が住民達に災いをもたらし大変苦難していると傑堂能勝禅師和尚が念仏により退治し、その池の跡に慈光寺が創建されたと伝えられています。この伝説は白山信仰(真言宗又は浄土信仰)から曹洞宗に改宗した事を現わしているとも言えます。傑堂能勝は南朝の有力武将だった楠木正成の3男の楠木正儀の子供で、自身も南朝の武将でしたが戦場での負傷で体が不自由となった為に出家し永澤寺(兵庫県三田市)の通幻寂霊に師事しました。その後は竜沢寺(福井県)の住職を経て、耕雲寺(新潟県村上市)で修行を積み耕山寺(茨城県常陸太田市)、天寧寺(福島県会津若松市)などを開山し東日本の曹洞宗布教に大きく貢献しています。歴代領主に庇護され、特に村松藩主(本城:村松城)の藩主堀家の帰依もあり寺領100石が安堵されています。江戸時代中期になると幕府から10万石の格式を与えられ村上耕雲寺種月寺(新潟市)雲洞庵(南魚沼市)と共に越後四ケ道場の一つに数えられるなど隆盛を極めました。現在でも56000uに及ぶ寺域には500mの参道があり両側には樹齢300〜500年の杉並木(新潟県指定天然記念物)が続きます。境内には宝暦13年(1763)に再建された本堂や庫裏などの古建築物群が七堂伽藍を構成し回廊で囲まれています。

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慈光寺(五泉市):周辺の見所

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