【 概 要 】−八所神社が何時頃から祀られていたのかは判りませんが、伝承によると大同2年(807)、大日川が度々氾濫を繰り返す事から、それを鎮める為に砂山の地に創建されたと伝えられています。当初は水神や川神が祀られていたと考えられ、平安時代に成立した延喜式神名帳に明記されている式内社市川神社は当社との説があります(明確な確証が無い為に論社)。その後、川の氾濫によって元の鎮座地から流され、八柱が勧請合祀された事で八所大明神や八所大権現と呼ばれるようになります。その後、名刹として知られる乙宝寺の鎮守社として奉際されるようになり、奥山荘黒川条内乙郷44カ村の産土神として広く信仰を広げました。明治時代の神仏分離令により乙宝寺から分離し社号を「市川八所神社」に改めましたが、現在も境内が隣接(事実上一体化している)し、境内には宝篋印塔があるなど神仏習合時代の名残が見られます。宮殿は元禄12年(1699)に造営されたもので、元和6年(1620)に造営された当時の古材が残されている建物として貴重な事から新潟県指定文化財に指定されています(細部の意匠は乙宝寺の三重塔や乙宝寺弁天堂などと共通する事から、乙宝寺が元和年間に造営された同時期に同じ職人によって建てられた可能性が高いとされます)。
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