新潟県・関川村・渡辺家住宅

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【 概 要 】−渡辺家住宅は米沢城下(米沢市−米沢城)と新発田城下(新発田市新発田城)、村上城下(村上市村上城)を結ぶ米沢街道(越後街道)沿いに天明8年(1786)に建てられた建物で切妻、木羽葺(下屋部分は瓦葺き)、撞木造り(平面的にT字)で主屋には街道から直接入れる玄関と棟門から中庭を通って入れる玄関とがあり格式を感じます。渡辺家は村上藩主松平氏の家臣として郡奉行を勤めた家柄で、藩主が姫路藩(兵庫県姫路市:本城−姫路城)へ移封の際、この地に土着し大きな影響をあたえました。廻船問屋、酒造業で力を蓄え豪商へと成長していきました。江戸時代中期になると米沢藩(山形県米沢市:本城−米沢城)に支援を開始し、幕末まで十万両以上用立てたとされ、藩から破格に待遇を受けたことで新田開発や植林なども力を入れ大地主となりました。渡辺家住宅の主屋(文化14年)、宝蔵(明治時代)、新土蔵(江戸時代末期)、米蔵(天明3年)、味噌蔵(天明8年)、金蔵(江戸時代後期)、裏土蔵(明治30年)、庭園(江戸時代中期)、渡辺家文書(2万数千点)は大変重要な遺構である事から国指定重要文化財に指定されています。
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